前号では、文字の行間から表現を読み取る…と言うお話でしたが、今回は、対峙して相手の肉声を通して感情を読み取る力が必要だ…というお話をご紹介します。私も常々感じている事です。(sada)
「みみをすます」ということ。自分のからだの内部の、他の声や音を聞くことのできる静けさというのか、そういう物も大切ですね。自分がざわざわしているとなかなか人の話を聞けないじゃないですか。自然の音も耳に入らないし。 いま声を出す、あるいは声を聞くことの障害の一つは、情報がものすごく大量にあることが影響しているという気がするんです。とにかく一日中おしゃべりが凄く多い。テレビもひっきりなしにしゃべっているし、ラジオも、新聞や雑誌もしゃべっているような感じ。活字を読んでいるから静かだと思っても、実際にはうるさいものなんですよね。黙読してもうるさい。騒々しい物だと思います。
いま世界中の騒々しさみたいなものが、人の声に耳を傾けることの邪魔をしている印象があります。せめて自分だけも騒々しさからどうにか静けさの側に行きたいというか、静けさを保っていたいと思うと、ときには耳をすまさずに、耳をふさぐ事も必要で、大量な情報をどういうふうに取捨選択するかということが、今の時代はすごく問題になっているような気がするんです。
本来の声の場というのは、相手の匂いとか顔色とか唾が飛んでくるとか、そういう具体的な体の場なのに、今のコミュニケーションの場というのは、変に体抜きのヴァーチャルなものになっているということがあると思います。基本的に声での伝達は肉声による一対一のものなんだ。肉声が基本なんだということは知ってないとまずいんじゃないかという気がします。
以上【声のちから】岩波文庫より、谷川俊太郎さん文の抜粋です。 |